「魚」を買って「価値」を学んだ話。

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熱帯魚を衝動買いしたことってあります?

 

まあ最近のホームセンターの類もやり方がえげつないですよね。

 

全く別のものを買いに行ったのに
すぐそばにあんな可愛いお魚たちを並べられたらそりゃ買っちゃいますよ。

 

 

潜在的なニーズを掘り起こし、
適切なコンテンツで繋いでキャッシュポイントを踏ませる、
マーケティングを知り尽くした策士の成す技だ。ー

 

 

とか思いながらまあ簡単に言うと熱帯魚を数匹、
それから水槽などその他もろもろのものを全部、衝動買いしたわけです。

 

全く0の状態から水槽を立ち上げました。

まあ衝動買いと言っても元々熱帯魚飼いたいな〜というのはありましたけど。

 

それはいいとして、
熱帯魚を飼うようになってからいろいろと思うところがあるので
それをたらたらと書き連ねてみようかなという試みです。

 

 

 

鳥居、新しい仲間に歓喜

 

ネオンテトラを5匹、ゴールデンハニードワーフグラミーを3匹買いました。

正直、めちゃくちゃ可愛いわけです。

 

家に帰って早速水槽を準備し、水を整え、
お魚達を泳がせてあげました。

 

黄色のグラミーと青いネオンテトラ、それから
緑の水草の色合いがすごく良く、僕は大満足して
数万円、衝動買いに使ったことなど完全に忘れているぐらいです。

 

エサをあげるとすごい勢いで寄ってきて、
小さなお口でパクパク食べるんです。

 

正直、めちゃくちゃ可愛いわけです。

 

それから数時間ずっと水槽を眺めていましたね。笑

飽きないんですよ。

 

愛着が半端ではなく、名前までつけて
大切に育てていこうと心に決める自分がいました。

 

 

 

翌日起きた全く予想外でショッキングな出来事

 

本当にその次の日。

 

朝起きて、水槽に向かって「おはよう」と語りかけます。

 

やっぱりどうみてもうちのお魚達は可愛いな、と。

 

 

 

 

朝から元気に泳ぎ回ってる5匹のネオンテトラに
隅っこでゆらゆら揺れている2匹のグラミー・・・。

 

 

あれ? グラミーが1匹・・・いないっ・・・!!

 

うおー!!

1匹どこいったん!

まじか!まじか!

おれのグラミー・・・。

 

 

という感じで少し見渡してみると
水槽から2メートルぐらい離れたところで干からびていました。

 

買ったばかりでめちゃくちゃ愛着が湧き、大事にしていこうと
思っていた分、なかなかの衝撃でした。

 

愛着ある生き物が死ぬってこういうことなんだと
肌で感じましたね。

 

将来子どもができたら絶対に生き物を飼わせようとも思いました。

 

 

まあそういった感じで、死んでしまったグラミーをトイレに流すわけにもいかず、
埋めてあげるために観葉植物の鉢を1つ買いました。

 

モンステラの根元の土を少し掘り起こして、
大事に大事に干からびてパサパサになった魚を埋めてあげたんですね。

 

そうすれば死んでしまったグラミーも幸せかな、と。

 

鳥居家に来て1日で死んでしまったというのもあって
せめてもの罪滅ぼしの意味でも大事に、送ってあげたわけです。

 

そうして、他の魚たちが同じ目に遭うことがないよう、
ちゃんと育ててあげようと心に決めました。

 

 

 

その日の夜ご飯を食べて感じた”違和感”

 

その日の夜ごはんを食べ終わって片付けを一通り済ませ、
陽気に熱帯魚の水槽にエサをあげている自分に対して”ある違和感”を感じました。

 

違和感と言うのがいいのか、疑問と言うべきなのか、
ある意味自己嫌悪的な感情も含んだ、なんとなくのモヤモヤ。

 

パッとうまく言葉で表現することができないような
すっごく簡単なようで難しい問題、課題。

 

 

 

 

サンマを食べたんですよ、夜ご飯に。

スーパーで買ってきたサンマです。
塩焼きにして食べました。

 

 

・・・と、ここまで言うと僕のモヤモヤがなんとなくご理解いただけるでしょうか。

 

ええ、僕は、
熱帯魚を1匹死なせてしまいそれをわざわざ観葉植物の鉢を
買ってまでして大事に大事に埋めてあげたのと同じ日に、
サンマを1匹殺しその残骸をなんの感情もなくゴミ袋に放り投げ、
そしてその直後に元気に育て、生かすために熱帯魚にエサをあげている自分に気づき、”違和感”を感じたんです。

 

 

グラミーもサンマも
同じように水の中で生き、
同じようにエラで呼吸し、
同じようにヒレを使って泳ぐ魚です。

 

それにも関わらず、無意識下において
それらに全く正反対の扱いをしている自分に対して漠然と違和感を感じたわけです。

 

それと同時、なぜそんなことが起こるのだろうか、
という問題について考える機会を得ました。

 

 

 

まあといってもそれは考えるまでもなく
当然ながら「価値」が違うからです。

 

僕がその2匹の魚に対して抱く、感じる「価値」がそれぞれで
異なるためにそういった扱いの違いが生まれたと言えます。

 

 

熱帯魚の価値は、
見て、美しいな、可愛いなと感じるところにあります。

サンマの価値というのは、
食べて、美味しいなと思えるところにあります。

 

僕が感じた漠然として違和感は
その両者の価値の開きに起因するものだったわけです。

 

 

 

熱帯魚にエサをあげながらそんなことを考え始めました。

 

 

 

僕ら情報ビジネスをやる人間は日々の仕事の中で
「価値」ということに特に気を使います。

 

それは普通の商売と違って扱っている商品が
目に見えないものである、ということも一つあるからです。

 

「情報」というある意味あいまいな商品を扱う以上、
一歩間違えば、もしくは自分の力が不足していれば詐欺だと言われかねない仕事です。

 

しっかりと価値を提供するということが最低限求められることであるわけですが
じゃあその価値ってそもそもなんなんだ、どういうものなんだ、という所へと
思考は繋がっていきます。

 

 

 

「価値」とは常に人が定義するものだ

 

熱帯魚とサンマを見て思うんです。

 

こいつらはなんのために産まれてきたんだろう、と。

 

 

産まれた時から観賞用、食用として育てられる時代になっていますが
もっと根本を辿ればそうではないのではないかと思うんですね。

 

お魚たちはただ、海や川で自分の人生を生きるために
産まれてきたのではないでしょうか。

僕らと同じです。

 

しかしながらそうやって当然のごとく自然界に存在するそいつらに対して、
人間が勝手に、無理矢理に価値を見出し、人間の世界に連れてきたわけです。

 

そしてその瞬間にそのお魚たちに「価値」が生まれたわけです。

 

色がきれいな魚は鑑賞の価値が、
脂の乗った魚は食べることに価値があると人が定義し、
その価値を享受するようになりました。

 

ここでは魚の話がしたいのではなくて
もう少し抽象論として読んでいただければいいんですが。

 

自然のものに関して言えばなんでもそうです。

 

殺され皮を剥がされコートやバッグにされる動物もいれば
家の中に上げてもらって飼い主の膝の上で可愛がられる動物もいる。

切り倒され、机や椅子にされる木もあれば
きれいな鉢に植えてもらって部屋に飾ってもらえる木もある。

 

あげればキリがないですが元々”そこ”に当然のごとく存在していたものに対して
人が勝手に価値を定義し、それを享受するようになった。

 

そしてその価値をめぐって、そこにビジネスが存在するようになりました。

 

「価値」というものは常に人が定義するものであると言えます。

まあ言ってしまえば当然のことですね。

 

 

ビジネスにおいて扱われる商品というのは、
何も自然にあるものばかりではありません。

 

人が0から作り出したものを売ることの方が
よっぽど多いです。

 

元々あったものに価値を見出したのが前述した例ですが
人が作り出した商品というのは元々見出すべきポテンシャルを備えていません。

 

何もなかったところから商品を生み出した、
もっと言えば、価値を生み出したと言えるかと思います。

 

 

しかし商品がどんなものであろうと、
価値を定義するのは人である、という事実に変わりはありません。

 

そのビジネスがそれなりに成り立っている以上、
そこには大原則である「価値と価値(お金)の交換」が成り立っているわけですが
逆に言えばそのバランスが崩れればそのビジネスが成立しなくなるわけです。

 

したがってバランスを維持するために、いただくお金に見合う価値を
提供する必要があるわけですが、前述した通り価値は人が定義するもの、です。

 

この部分、「人」というのをもう少し正確に言うと「商品を買うお客さん」であると言えます。

 

価値を定義するのはお客さんである、
販売者側ではないですよね。

 

まあ考えてみればわかります。

お金を払ってその価値を受け取るのはお客さんですから、
販売者がどんなにすばらしく価値の高い物だと訴えたところで、
お客さんがそれを認めることがなければその商品は「価値がない」となってしまうということです。

 

よく「価値があります」を謳い文句にクロージングをする人を見かけますが
全く的外れで、価値があるかどうか決めるのはお客さんだよ、となってしまうわけですね。

まあ、あたりまえのことです。

 

 

僕ら販売をする側の人間は、
お客さんが価値を見出し、感じるであろうモノを一生懸命作るのみです。

 

その、「価値を感じるであろう」の精度を極限まで高めていくにとどまるのみです。

 

そうしてその頑張りをお客さんに認めてもらった時に初めて、
商品を買っていただけるということが起こるわけです。

 

下手な煽りを無駄に入れたりだとか、
まあコピーライティング的に話せばそういうこともするわけですが
それでも、もっと他に僕らがやるべき大切なことがあるように思いますね。

 

 

着地点はいつもの同じところにたどり着いてしまいますが
改めて「価値」について考えを深めさせてくれたサンマと熱帯魚に感謝です。

 

 

 

 


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