自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

 

 

茨木のり子さんの詩、「自分の感受性くらい」から引用させていただきました。

有名な詩です。

どう感じました?

 

 

解釈はいろいろとあり、感じ方も人それぞれだと思うので、
文学的なこととか、そういう難しい話をここでしようと思ったのではなくて。

 

あなたならどう感じるかな、と。

 

さらには時に、水やりを怠り、
しなやかさを失いかけ、
不器用になり、
初心を忘れ、
生まれてきた時代を恨みそうになる自分自身への叱咤激励のためと、
この詩を探してきました。

 

 

僕がこの詩と出会ったのは高校の時だったんですよね。

当時の教室の前の黒板の隣に
大きな紙に印刷された「自分の感受性くらい」が貼られていました。

 

その時の担任の先生も大変厳しく、すばらしい方だったので
僕ら高校生にやはり何かを感じて成長していってほしいと願い、
教室の一番目立つところに掲示されていたんだと思います。

 

当時は意味がわかりませんでした。

 

なんとなくすごいなあとは思っていたものの、
特に気にもせず、感受性の意味もよくわからないでいましたね。

 

今でももしかしたらわかったつもりでいるだけで
本当の意味ではわかってないのかもしれません。

 

そんなに薄っぺらいものではないのです。

 

なのでもう少し僕が成長し、この詩の意味、
さらには当時の担任の先生が高校生の僕らに伝えたかったことが
本当の意味で分かるようになったら、
この記事は削除しようかなと思ってます。

 

 

 

それで、
感受性について説いた詩でありますが、
僕はこの感受性というものを大切に生きていきたいな、といつも考えているんですね。

 

「人間性」を形作っていく重要な要素になるものが
その感受性だと思うんです。

 

大きな部分を占める。

 

人間的にすばらしいなあ、尊敬できるなあ、と思う人をしっかりとみてみると
例外なく感受性豊かな人が多いものです。

 

そんなに難しいことではなくて。

 

一流のプロの技に触れた時に感動することができる、
その人が今の技を身につけるに至るまでに越えてきたことを理解することができる。

夕日をきれいだと感じることができる。

人の「いたみ」が理解できる。

電車でおばあちゃんに席を譲ることができる。

それだけで十分じゃないのかな。

 

そういう人って自然と、おもしろくて素敵な人が多いでしょう?

 

豊かな感受性でいろいろなものに興味を持つからインプットの時点で
質の高いものが得られるし、
優れた洞察力で物事の本質を捉えることができる。

 

さらに人のことを考えることができるから自分本位にならず
アウトプットにおいても人を喜ばせることができる。

 

そういう人がいいんだよ。

 

関わってておもしろいし、自分自身の感性も磨かれていくような気がする。

 

負けてられないな、と思う。

 

 

人ってやはり大人になっていくにつれて
いろいろなことに対して鈍感になっていくものですよね。

 

しばらく小学生の子どもたちと関わる機会があったんですが、
子どもって本当にすごいんですよね。

 

日常生活の中でも、
すごくささいなことに感動したり、衝撃をうけたり、
多くの疑問を持ったり、それを解決することに対し喜びを感じたり。

 

大きくなっていく過程でそういったことを忘れていってしまうんですよね。

 

大人なら大人なりの疑問や感動があるでしょう?

それを追い求めなければいけない。

身近にあるそれらに気づかなければいけない。

そのように努力しなければいけない。

 

それが時間の流れの中で自分の心がぱさぱさに乾いていくことに抗うということ。

感受性を磨くということ。

 

具体策はいろいろあるかと。

 

 

いろいろなことに鈍感な人ほどつまらない人はいないですよ。

 

僕はね、
しばらく感受性が豊かなことは欠点であるともとれるのかなと思っていたんですよ。

 

些細なことに傷つきやすいし、
場合によっては他人に理解されないことも多いでしょう?

 

その「他人には理解されない感受性」を基に形成された人間性や
その先の信念が否定された時にはもう、ただただつらいものです。

 

その人たちの「言葉」っていうものは
鈍感な人たちには響かないし意味も分からないんですよね。

 

世の中鈍感な人が圧倒数を占めるものですからね。

 

しかしやはりそういうことも含めて感受性が豊かなことっていうのはいいことなのかなあ、と。

 

他人に理解されないことはつらいことではありますが
そういう言葉や行動をわかってくれる人っていうのは必ずいますからね。

そういう人たちとコミュニティを作り幸せに暮らしていけばいいんです。

それは確実にレベルの高いコミュニティです。

 

 

ビジネスをやる人間として話をすると
いろいろなビジネスがありますが成功されている方っていうのは
やはり優れた人間性、その基になる豊かな感受性、
さらにはその先の信念というものを皆さん持ち合わせているような気がします。

 

そういういろいろな要素が組み合わさって、「自分の言葉」というものがあるのだと思います。

 

成功しようと思ったらやっぱり小手先じゃだめなんですよね。
誰かの受け売りとかではなく、「自分の言葉」。

 

そのために信念や人間性の基になる感受性を磨こう、というわけです。

 

何回か「信念」という言葉が出ましたが、
僕はこれもすごく大事だと思っていて、

一流の人間とはどんな人間かと聞かれれば、
お金をたくさん持ってる人でもなく、
何かすごいテクニックがあるとかいう人でもなく
様々なことに対して、自分の信念を持っている人、だと思うんですね。

 

この信念っていうものもただの言葉だけのものでは説得力がありません。

 

背景にその人なりの思考や感覚があるものです。
それが何度も言いますが人間性であり、感受性や価値観であるのです。

 

そういう人間に人はついてくる。

人が集まる。

だから結果的に稼げているんですよね。
そういうことです。

 

 

今日は少し長くなってしまったのでそろそろ締めたいですが、
自分の普段考えている「感受性」というものについて綴ってみました。

それでは。


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